Diary of aochan

あおちゃんの感想録

話題作ドライブマイカーを見た。

2022/3/19(土)

本日は映画賞受賞で話題になっているドライブマイカーを見てきました。

f:id:aochan0130:20220319165529p:plain

Drive my car

結論の私の感想としては非常に良い映画だったなという感想です。

これまであまり映画の感想などコメントしてこなかったのですが、アウトプットの練習として、感想を記入していこうと思います。

(以下ネタバレが含まれますので、まだご覧になられていない方はご注意ください。)

1.ストーリー・脚本が良かった

あらすじについては公式サイトに書いてあるので引用します。

妻との記憶が刻まれた車。聴けなかった秘密。孤独な二人が辿りつく場所──
再生へと向かう姿が観る者の魂を震わせる、圧巻のラスト20分
舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
人を愛する痛みと尊さ、信じることの難しさと強さ、生きることの苦しさと美しさ。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは――。登場人物が再生へと向かう姿が観る者の魂を震わせる圧巻のラスト20分。誰しもの人生に寄り添う、新たなる傑作が誕生した。

もともと村上春樹の原作小説を膨らませた映画です。原作小説のほうは現時点で未読なのですが、村上春樹の作品の中でもファンタジー要素が少ないほうの作品のようですね。*1

村上春樹の小説によく出てくる、男女関係の神秘性がテーマの一つとして出てくるのは今回も同じです。神秘性を表すツールとしてセックスが非常に重要な物語のキーになってくるのは村上春樹の作品の特徴ですね。*2

今回はその意味の持たせ方として、秘密の共有や絆という一般的な解釈になっていることから、話として非常にわかりやすい展開でした。ただ、単純な秘密ではなく、意味がありそうでなさそうな脚本を秘密として仕立てているのが純文学っぽいです。

この純文学っぽい感じが損なわれることなく全体的にちりばめられていたのが私としては好印象でした。映画全体としてエンターテインメントに走らず、ぱっと見は難解な表現をそのまま残しながら作品を成立させていました。

 

見る人によっては、絶対にこの場面でこんなセリフ言わんだろと感じたり、セリフが難しすぎて棒読みに聞こえると思いそうな感じたりしそうではありましたが、ストーリー全体はもとより、言語表現に重きを置く純文学のマナーが映画全体を通して徹頭徹尾守られていたように感じます。

 

秘密を持ったまま亡くなったパートナーと折り合いをつけていくというストーリーの構図は、私が好きな作家である、平野啓一郎の「ある男」と同じテーマになるかと思います。

パートナー(あるいは関わる人)の全てを本当に知っているか?という構図はネット社会になってコミュニティが可視化されやすくなったことで関心注目が集まっている話題なのかなと感じます。

 

平野啓一郎は「分人主義」*3を文学の形に落とし込む試みをなされた作家ですが、本作の家福やみさきへの救いの描写もこの主義と通ずる部分があるなと思いました。

 

家福の場合、妻は夫を自然に愛しながらも自然に夫を裏切り続ける側面があった。主人公の家福はその妻のふるまいを見て見ぬふりしてきました。

それは家福自身が妻との関係が変化してしまうのを恐れたからです。家福自身はおそらく、妻が生きる自分との分人はきっと特別なものであることを期待し、そうであると信じ込んでいた。

ですが、高槻の告白を受けてその期待は崩れてしまった。自分がある意味で特別ではないと知った後に見えない相手の一面(分人)を知りながらその人の全てを愛することができるのか?いや、そもそもその秘密を含めて愛する必要があるのか?

このような問いかけが家福、そして私たちになされていたように思います。

 

みさきの場合ひどい虐待を母から受けてきたことが告白されます。

災害の際に母を助けない選択を無意識のうちにしたみさきですが、故郷を訪れた際に明かされるように、母の別人格である幼児を"唯一の友人"として表現しました。

この時の別人格という表現はもっと直接的に人の中にある複数の分人を示唆しています。

母が見殺しにするということはつまり、虐待する母と幼児を両方見殺しにするのと同じことです。ここにもその人の中にある分人全てを愛する必要があるのか?という問いが書かれているように思います。(結局みさきは虐待を行う、母の分人から逃れるために幼児の分人を見殺しにしています。)

 

結局この2人は最愛の人の中に存在する愛すべき分人と嫌悪すべき分人の同居に悩まされ、いずれも嫌悪すべき分人と向き合うことから逃げてしまったことで最愛の人を見殺しにしてしまったという点で共通しているので、最後分かり合えそして互いに互いを許しあえたのではないでしょうか?

(もちろん物語の終盤にならないと、この関係はわからないのですが。)

 

みさきの故郷で互いの境遇を理解した2人は最愛の人に向き合えなかった当時の自分を自認します。

そして互いに許しあうことで、2人で前に進んでいくのです。*4

 

物語の最終盤でのワーニャ伯父さんの劇中のセリフ

で物語は結びの場面を迎えます。

Wikipediaから引用した訳が以下です。

仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…

 

結局生き残ったものは亡くなったものを思いながら生きていくしかないんだという家福のセリフがあったかと思いますが、そのセリフとの関連も込めて、物語がこのソーニャのこのセリフに帰着するのは非常に綺麗で救いのある結末だなと思いました。*5

辛いことがあっても、生きていくしかない。生きて生きて、その時が来たら神様が自分達を救ってくれる。宗教観が薄いこの私でもこの結末は身の丈に合っていると思えるし、頑張ろうと思えるものですね。

 

最後に大雑把に書きますが、話全体の流れとしても、各人の行動に破綻した部分はほぼなく、その人物がなぜそういう行動、発言をするのかが明快だったと思います。これは約180分に及ぶ長尺で丁寧に描写をしてくれたおかげだと思います。

 

2.演出が良かった。

演出として心に残った部分がいくつかあります。

  • タイトルが出たところ

冒頭3〜40分程度は音が死ぬまでの描写が描かれるのですが、その部分が終わって広島に向かう部分でタイトルや役者名が出る演出がここから本題が始まるんだなという感じで非常に良かったです。途中にタイトルが挟まる漢字はまるでSuchmosのMusic video みたいでした。

  • 高槻が音からの話を告白するシーン

この映画の中でも見どころになる演技の一つでした。

高槻が語る音の話は、意味がなさそうでありそうないかにも純文学らしい話。これを映像でやっているのが個人的にはよかったです。

家福と高槻の二人の顔が交互に映されるだけのシーンではありますが、話の内容も相まって引き込まれます。車の中ということで、背景の夜景がどんどん過ぎていくのが良かったです。

車の中でのシーンは多かったですが、密室だからこそ親密に話せるというか、そこでしかできない会話があるといったシーンが多かったですね。それぞれの登場人物がこんなに自分の秘密を話していくのを不自然に感じなかったのはこの車という装置があったからかもしれませんね。

  • 高槻から告白を受けた後家福とみさき2人でタバコを吸うシーン

高槻から告白を受けた後、家福は車でタバコを吸うことを提案するのですが、車に煙がつかないように、開閉式のルーフから2人で手を出しているシーンがありました。ここはシンプルにおしゃれやな〜って思いました。文字じゃ表現できないカッコ良さです。

  • 劇でのソーニャの長セリフ

物語の最後ソーニャ役の女性がワーニャ伯父さんの最終幕のセリフを手話で話していくのですが、このシーンは鳥肌が立ちましたね。

ほぼ無音の状態で文字が直接目に入ってくる。ここのセリフをよくやりがちな感動的なBGM込みで音声で伝えていたら感動はいくらか薄れていたように思います。ソーニャ役の女性を話すことができない役を据えたのは原作からそうなのかは私はまだ知りませんが、ラストシーンは手話とその訳で伝えたからこそ胸にくるものがありました。

 

3.音楽が良かった

作品の中で音楽が流れている部分はおそらく1/3に満たないのではないかと思いますが、それでもその音楽が非常に良かったです。

音楽を手掛けられたのは石橋英子というアーティストで、星野源のバックバンドにも参加しているということで、私の好みに合うのも納得です。*6

音楽が鳴る部分は少ないのですが、それ故に音楽があるシーンでの存在感が凄まじかったです。

サントラも聞きましたが、これだけでドライブでも私は大丈夫そうでした。

 

4.まとめ

国際的な映画コンクールで評価を受けているこの作品ですが、非常に良い作品だったと思います。

ここに書ききれていませんが、韓国人の役者の演技とか車の移動時間の時間感覚*7とかも素晴らしかったですね。

とくにみさきが母からの虐待を告白するシーンの長いトンネルなんて本当にあのくらいありますからね。(確か通り抜けるのに5分くらいかかる)

広島市内でトンネルの中で長い話をさせるのにあそこまで適切なトンネルはないかもしれません。

ストーリーの考察を深めようと思うと、高槻と家福の対比構造をしっかり見ないといけない気がしますが、ここら辺はちょっと自分の中でも整理がついていないので後日原作を読んだ後にしようかと思います。

以上乱文ですが、ご容赦ください。

*1:個人的には世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのようなちょっとファンタジーが入った作品のほうが好き

*2:それゆえに忌避する人も多いので、今回は妻は家において一人で見てきました。

*3:人の最小単位を個人ではなく環境や人との関係からなる分人として定義し、個人はその分人の集合体としてとらえる試みのこと。詳しくは平野啓一郎氏著作「私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)」を参照のこと。

*4:この作品は折り合いの付け方に主軸を置いているので、その人の何を愛するのか?という部分は示唆だけで明確な意見は出ません

*5:実質の最後はみさきが韓国に移住して、顔にあった事故の戒めとしての傷がなくなった状態で家福と同じ車で走っていくというなんともふくみのある描写ですね。ここは想像が膨らみます。

*6:余談ですが、私の最近好きな音楽はSuchmosとか星野源とかceroとかのブラックミュージックにルーツを持つような曲が好きです。他にも好きな音楽はありますので、いずれどこかで話します。

*7:地元広島なのでわかる